マキアだぞぃ

好き勝手に書きます

夢物語の"夢"が叶ったら、"物語"が終わってしまった話

はじめに

一年ぶりです。マキアです。 そろそろアドベントカレンダーの季節か〜と思ってとりあえず8日に自分の番を入れた訳ですが、何故か私よりも前に入れてる人がいませんでした()
去年に引き続き、今年もトップバッターになってしまった訳です。トップバッターやりたくないから後ろ目にしたつもりだったんだけどなぁ()

そんな訳で今回が何事もなければ大学生活最後のアドベントカレンダーになりますので、就活の振り返り及び何を思っていたか等を書き連ねていこうと思います。

*この記事は私の感情や思いをただただ文章にしてるだけの記事になってます。記事を読んだ方が不快になる文章がある可能性が高いので、自衛したい方はここで記事を閉じてください。

次回はしゃりんさんです。楽しみにしてます。



















思えば小学生の時から""ゲーム会社の社員になりたい""という夢を持っていました。この夢を願うようになったのも、野球の才能が小学生の時にあった為に周りの大人からの期待が凄く、その期待から逃げる手段として「野球の練習をサボってゲームをする」という行為をしていた事がきっかけでした。
ここから「ゲーム = 現実逃避」という考えに至り、「ゲームに関われば楽なんじゃね?」という小学生のマキア君は思った訳です。うーん実に愚か。

小学4年の時に「1/2成人式」という学校行事があったのですが、この行事は体育館に4年生の親全員を集めて4年生がそれぞれ将来の夢を語る、という行事でした。この時に私は全員の前で「将来ゲーム会社の社員になりたい」という夢を語りました。語ったら叶えたくなるというのが人情ってやつです。この時に私の将来の夢は決まった訳です。

夢ってのは一般的に「最終目標」だと思ってます。だからこそ夢を叶えた人は幸せになる訳ですし、最終目標に到達できないと悟った人は夢を諦める訳です。私の場合はその「最終目標」が生きてきて20数年間ずっと「ゲーム会社の社員になる」事だったんです。

大学に入ってからのあれこれ

という訳で大学1年生の時から「ゲーム会社の社員になる」為だけに就活を始めました。意味不明かと思いますが、大学1年の時から会社説明会や何故か本選考の面接も受けました。この本選考を受けさせてくれた企業にはコードレビューを個別で行ってもらったり、その後も本当にお世話になりました。名前は出せませんが、ありがとうございました。

大学2年の時には、インターンシップに参加するようになりました。その時のメンバーの中で一人だけフォロワーなんですが、多分ゲーム会社に就職できたっぽいので結構嬉しかったですね。やっぱり縁を持った人の不幸はあまり見たくはないので。

大学3年になるとそれまでの努力が何故か報われるようになります。何故かは知りませんが、自分の作品及びソースコードがめちゃくちゃ評価されたなって感じです。この頃から夢に近づいてるなという気がしてきてました。

そして遂に某年某月某日、就活してからずっと第一志望だった企業の最終面接に辿り着きました。

夢が叶った日

ここまで超駆け足で来ましたが、ここまでは所詮プロローグです。いや本当はここまでの事もめちゃくちゃ長く書いてたんですけど全部消しました。だってこんな「私頑張りました!」っていう文章を長々と見せられても不愉快なだけですからね。

という事で本編開始です。そもそも皆さんの夢は何でしたか?夢なんて大層なものはなくて平穏に暮らしたいとかですか?...まぁ別に皆さんの夢なんてこれっぽっちも興味はないです。ただ一つ言えるのは、「夢を叶えられた人はほとんどいない」という事ですかね(俺は夢叶えたわ!って人は良かったですね)。つまり、この記事を読んでる人のほとんどは「夢が叶った日」というのを知らない訳です。

かくいう私もその日まで知らなかった訳ですから、夢が叶う瞬間までの"恐怖"というのを知りませんでした。その日は全く寝られない...という訳ではなく、逆で「怖すぎて起きられない」という状況でした。現実逃避ってやつです。びっくりしました。めっちゃ汗が出てるのに全然目が開けられない。何か体も超震えてる。

どうにかして起きて朝ご飯を食べる訳ですが、両手が何も持てないくらい震える訳です。お味噌汁の中に箸を入れると味噌汁が飛び散るくらい箸を持つ手が震えてました。食事も全く喉を通りません。今まで数々の緊張する場面というのは経験してきましたが、どこか「死ぬ訳ではないし」という気持ちがあったためこのような状態にはなってませんでした。しかし、今回は違います。だって自分の夢が叶うか叶わないか、その二択になってる訳ですよ。言わば「生きるか死ぬか」と言っても過言ではないです。この状態になるのは多分この後の人生で1回あるかないかだと思ってます。

面接の自己紹介の練習も最終確認程度に行ったのですが、全く口が回らずに酷い有様でした。久しぶりにパニック状態(「もう無理だぁ!」と連呼したり涙を流したり)になってしまい、結局そのまま時間が来てしまいました。

基本面接が始まる15分前にはZoomに参加しておくものですが、夢が叶うか叶わないか、極限の状況での15分間の長いこと長いこと。ただ、流石は俺。しっかり面接は完璧とまではいきませんでしたがそれなりに纏める事ができました。

面接が終わって2分後、飲み物でも飲もうとリビングに行ったら突然電話がかかってきました。たった今まで面接してた企業からの電話でした。お察しの通り、内々定の連絡でした。20数年間越しに夢が叶った瞬間です。膝から崩れ落ちて立てなくなりました。というか、最早声が出ませんでした。なるほど、夢が叶った瞬間はこんなにも身体が言うことを聞かないんだなって感じでした。

夢が叶ったという事実

という訳で遂に長年の夢を叶えた訳です。夢を叶えられた要因は間違いなくCTRLに入部したお陰だと思ってます。部の方針として年に2回公の場に自分のゲームを出す事ができる環境があり、ほぼ毎週進捗報告を行う習慣がある。さらに先輩方にゲーム製作についてのアドバイスも貰える。本当に最高の環境だったと思ってます。

と同時に、私のように「どうしてもゲーム会社に就職したい!」という人もほぼ居なく、「まぁゲーム好きだしゲーム会社に就職しよっかな^^」という人ばかりでした。まぁこれはCTRLに限った話ではないですし「そんな事思ってもないわ!」って人も一人くらいはいると思います。別にそういう人向けに記事書いてないので今回は無視しておきます。

そんな「何となくゲーム会社受けよっかな^^」と話してる人達を見て、凄く嫌悪感を抱いていました。仕方ないでしょう?こっちはずっと用意をしてきて、就活もみんなとは比べ物にならないくらい早く始めてる訳です。それなのにぽっと出の奴の"何となく"で俺の枠が無くなると思ったらキレそうになるのもしょうがないでしょう。逆に「ゲーム会社に入りたいとずっと思ってたけど就活をろくに頑張らなかった」人達も見てて凄く嫌な気持ちになってました。私からすれば就職は最終ゴールな訳です。なぜゴール目前で同じ目標なはずなのに頑張れないんだ?せめて俺くらい就活やれよ!ってずっと思ってました。他の人を自分の物差しでしか測れないのは私の浅はかな部分ですがね。
他にもTwitterで一定層いる「就活の話題を出すと定期的に病んでるツイートをする勢(自虐等)」も意味不明でした。そもそもお前ら同じ土俵に立ててすらないからな?何で俺が鍵垢で他人の病みツイートを防ぐ為に就活ツイートを控えなきゃなんねーの?という気持ちでした。

まぁつまり、常に"負の感情"が付き纏ってました。この感情は、とても創作活動に必要な事なのではないかな?と思ってます。現にこの負の感情のお陰でゲーム製作に集中する事ができた訳です。しかし、夢を叶えてしまった今、最早そんな事はどうでもいいのです。何故か?これまで付き纏ってた負の感情がちっぽけに思うくらい達成感や優越感、幸福感などのプラスの感情が手に入ったからです。夢を叶えるってのはとても、とても幸せな事だったんです。この瞬間だけは、間違いなく全人類の中で一番幸せな人になってました。

"その後"のお話

序盤で述べたとおり、私にとってゲーム会社への就職は「最終目標」でした。ゴールです。ではゴールしたらどうなるの?上記の通り「プラスの感情で満たされる」という訳です。それと同時に、「そこで終わり」なんです。もう少し具体的に言うと、「次の夢なんてものは早々見つからなかった」訳です。

この日が終わった後、私は殆どゲーム製作をしませんでした。だって満たされてるから。負の感情なんて殆ど存在してない。こんな自分を見てると「ゲーム製作が好きだったからではなく、単にゲーム会社に就職したかったからゲームを作ってたのかな?」と考えるようになります。

今年6月に公開された映画「映画大好きポンポさん」でも同様な台詞が存在します。何となく見に行った映画でとても心を打たれました。だって今まさに満たされてるからゲームを作りたい!とならないもん。

これから私がどんな大人になって、どのようにゲーム会社の社員としてゲームを作っていくか、何も分かりません。ある意味私の"物語"はここで完結してしまいました。「夢物語の"夢"が叶ったら、"物語"が終わってしまった」という訳です。夢も物語も無くなってしまった私は、このまま何もせず来年の4月の入社日を迎えます...夢だった場所に、何も持たずに向かう事になりそうです...